明るさと貧しさ——『陰翳礼讃』を読む

書籍

夜、白い均質な光が部屋の隅々まで届いている。暗さはどこにもない。便利で効率がいい。ただ、この明るさを自分で選んだ覚えがない。気がつけば部屋は明るいものと決まっていて、暗さは解消すべき問題になっていた。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』は、その決まりごとがまだ新しかった頃に書かれた。昭和八年から九年にかけて雑誌に連載された随筆で、これは日本の家から暗がりが消えはじめた時期にあたる。

蝋燭では暗すぎる

谷崎は京都の古い料理屋の話を書いている。客間に電灯を置かず、燭台の灯だけで客を迎えるのが名物の店だった。久しぶりに訪ねると、行灯式の電灯に変わっている。わけを聞けば、蝋燭では暗すぎるという客が多かったからだという。

谷崎は自分の席だけ燭台に替えてもらった。そして、ゆらぐ灯のそばの膳と椀を見つめて気づく。日本の漆器の美しさは、こういうぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、はじめてほんとうに発揮される——。

美しさが消えたのではない。美しさを感じるための環境が、時代の変化で静かに消えていったのだ。

美は、明暗にある

『陰翳礼讃』で最もよく引かれるのは、この一節だろう。

美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。

美は物にではなく、物と物のあいだにある。羊羹そのものが美しいのではない。玉のように半透明に曇った肌が奥まで光を吸い込むためには、光が乏しくなければならない。漆椀の沼のような深いつやも、白い光の下では、ただの黒い器に戻る。

これは建築の話でもある。建築は壁や屋根という物を作る仕事に見える。だが実際に作っているのは、光の入り方、暗がりの深さ、その中で物がどう見えるかという、物と物のあいだのほうだ。谷崎は建築家ではない。それでも、空間について書かれた文章でこれほど読み継がれているものは少ない。

一番風流な厠

その目で家の中を見渡した谷崎は、一番格の低い場所を持ち上げてみせる。厠である。

京都や奈良の寺院で、昔風の、うすぐらい、掃除の行き届いた厠に案内されるたびに、日本建築のありがたみを感じる、と谷崎は書く。厠は母屋から離れ、植え込みの蔭にあって、青葉の匂いや苔の匂いがしてくる。「日本の厠は実に精神が安まるように出来ている」。そのうえで、日本の建築の中で一番風流に出来ているのは厠だとも言えなくはない、とまで言い切る。

家で最も不潔である場所が、最も風流な場所になる。豪華なものは何ひとつない。暗さと、母屋からの遠さと、庭の匂いと。小さな条件の組み合わせで、空間の価値は逆転する。

照明をつけない部屋で

私の部屋の照明はLEDで、スイッチひとつで好きなだけ明るくできる。谷崎の時代よりずっと自由になったはずなのに、設定は一番明るいままで変えない。自由は、使わなければ決まりごとと変わらない。

もしこの本を読むなら、暗がりで読んでみてほしい。

『陰翳礼讃』は著作権が切れていて、青空文庫で全文を無料で読める。いつでもどこでも読める均質性は便利でありがたく、しかし風情がない。https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56642_59575.html
手元に置くなら、写真家・大川裕弘が谷崎の文章に写真を併せた一冊(パイ インターナショナル)がある。羊羹の色も、漆の艶も、障子のほの明るさも、現代人には想起されない陰影の「見え方」を目で確かめながら読める。欠点もある。判型が独特で、本棚でほかの本と背が揃わない。

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目に入る写真の印象に頼らず、言葉だけで暗がりを立ち上げたい人には文庫版がいいだろう。手に収まる慣れたサイズで暗がりに浮かぶ文字を追う。美しい陰影を頭に浮かべる。

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読書形態もまた明暗なのだ。便利であればいいというものではなく、それぞれに光があって影があって美しさを持っている。

照明を落とした部屋でこの本を読み終えて、部屋の見え方が変わった。同じ暗がりでも、そこに何が見えるかは人によって違う。あなたの部屋の陰影には、私とは別の美しさが見えるはずだ。

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